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2006年01月30日 (月) | 編集 |
レイプとか強姦とか輪姦をわいせつな行為とかいたずらっていうのはやめろ!!!

特にいたずら。いたずらってのはな背中にバカと書いた紙を貼り付けるようなことだ。決して棒を無理やり突っ込むことじゃない。

レイプをいたずらなんていうやつの歯をペンチでもぎ取ってやりたい。舌をジャガイモの皮むき機で削り取ってやりたい。ロードローラーで手足を潰してやりたい。トランクに監禁してそのまま車をスクラップ場にもっていきたい。


それくらい嫌いだ。俺がいいたいのはそれだけだ!!!
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2006年01月26日 (木) | 編集 |
1930年代のアメリカ競馬界を描いた映画「シービスケット」をみた。

途中で足を怪我するところとかが「ミリオンダラーベイビー」に似ていたがこっちはHAPPY-ENDだった。
やっぱり映画はハッピーに限る。競馬に熱狂している人たちの気持ちが少し分かった気がする。

ところでちょっと前100戦以上連敗し続けてる馬が話題になった。馬券があたらないと車にあたらないをかけてその馬の尻尾の毛が交通安全のお守りとして売られたりしていた。

どうしてもその馬の名が思い出せない。俺の記憶力はどうなってるんだ!!!つい最近まで名前を聞かない日はなかったのに・・・
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2006年01月26日 (木) | 編集 |
ブラウンバニーという映画を見た。

なんでも最後の10分で大どんでん返しがあるらしい。だがあまりにたいくつで最初の10分で寝てしまった。

目覚めた後どんでん返しとやらがどうしても気になるからそこだけを見ようと最後のチャプターから再び見はじめたが三分で寝てしまった。

どうも俺には合わない映画のようだ。


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2006年01月22日 (日) | 編集 |
輸入再開されたアメリカの牛肉はやっぱりクサレ肉だった。

アメ公は平気な顔で嘘をつくからとことんチェックしないとそりゃまともな肉なんて入ってきやしない。日本が再び輸入禁止にしたのは正しい選択だ。

腐れアメリカ肉食うも食わないも個人の自由、なんかあったら自己責任だ。なんてほざくボンクラが多いけどこの世界には平気でクサレ肉出荷するやつもいれば平気で偽装表示するヤツだっている。

お前ら、アメリカクサレ肉とヤマトアンゼン肉の区別つくか?ラベルに和牛ってかいてあったら和牛。アメリカ産と書いてあったらアメリカ肉だと思わないか?中身逆にしてても気付かんだろう普通。

残念ながら日本は金儲けのためならでっちあげをする人間がたくさんいる。そんなのから最低限国民を守るのが国家の義務だ。だから俺は輸入禁止を支持する。

不思議なことだが親米派は腐れ肉をいれろといい親中派は農薬野菜をいれろという。さらにいうと親韓派は虫入りキムチをいれろという。


俺はどれもいれるなと思う。まともな食い物を売れといいたい。これわがままか?腐れ食材売るのとサリン撒くのに違いなんてあるか?速効性の毒はダメで遅効性の毒ならオッケーてことかな
2006年01月19日 (木) | 編集 |
時間って長いようでみじかいし短いようでながい。
やることがある。
やりたいこともある。
やらなきゃならないことはもっとたくさんある。


その膨大なやるべきことをこなすには人生はあまりにも短すぎる。
仮に全てをこなす時間があるとしても俺の能力は低すぎる。
やるべきことの1割くらいしか俺はやれていない。

だからよく俺は落ち込むのだけれど考えてみると10割やるのは無理な話なのだ。
なぜならやらなきゃいけないことのほとんどはできなくて
当然なほど難しいことばかりだ。これは俺が無能とか関係なく。

その事実は悲劇だ。けれどだからこそうまくいったときの喜びは大きい。
仮にそれがたまたまだったとしてもだ。


俺は人間はネコに勝つネズミが大好きだという事実を忘れてしまう。
人間はきっと絶望が好きなのだ。多分自分自身が絶望の当事者であっても。

だからこれからも俺は「小さなことにくよくよする」と思う。

2006年01月15日 (日) | 編集 |
ばーちゃんが明日から入院する。正直もう戻ってくるとは思えない。
足を悪くして大好きな畑いじりができなくなってから症状が急激に悪化した。なんだかとても悲しい。

日によっては俺が孫だということも忘れている。これは正直へこむ。

いろいろしなくちゃならないのは分かるんだけど体が動かない。
フリーズしてしまう。頭がガンガンしてくる。

元気にならなきゃいけないんだ。吐き気はこらえなきゃ。
明るく前向き。それでいいんだ。俺にはそんなことしかできないのだから。

もう直らないそうだ。だったらせめてあまり苦しまないように残りの人生生きていって欲しい。

奇麗事だな。
2006年01月14日 (土) | 編集 |

苦しみを恐れる者は、その恐怖だけですでに苦しんでいる   モンテーニュ



苦しいのが嫌だ。しんどいのが嫌だ。めんどくさいのが嫌だ。だけど生きている限りこうしたものからはのがれられない。

ご飯を作るのがめんどくさい、弁当買ってくるのがめんどくさい、出前とるのもめんどくさい。以前俺はこういう理由で一月近くほとんど何も食べなかったことがある。たまたま遊びにきた父がやつれてる俺を発見して飯を食わせてくれなかったらそのまま死んでいたのかもしれない。

俺は「飯を用意するという面倒が嫌」だったから食事を取らなかった。その苦しみから逃げた。だがそうしたら今度は「空腹」という苦しみがやってきた。苦しみはどうしてもやってくる。

どうしてもにげられないことなのにどうして俺は苦しみを嫌い、それから逃げようとするのだろう?

空腹の苦しさに比べたらご飯用意する苦しさなんて屁みたいなものじゃないか。どうしてさっさと食べなかったんだという問いはもっともだ。空腹の苦しいを1000としてご飯用意するめんどくささは1あるかないかだろう。

だが俺はご飯を食べている間のわずかな期間、今現在の空腹の苦しみに加えてご飯用意の苦しみがプラスされるのがいやだった。怖かった、逃げたかった。ご飯用意してそれを食べるのに一時間かかるとしてたった一時間で1000の苦しみが0になる。なのに1000の苦しみが一瞬でも1001になるくらいなら1000のままでいいと考えていた。

この例は今考えてると我ながら自分でもバカげているがここまで極端でないだけで俺は今もにたような思考で生活している。こういっちゃなんだがほとんどの人間がそうなんじゃないだろうか。

家事や労働などの苦しみ。それはずっと続くわけではない。長期的に考えればむしろ「家事や労働をしないことのほうが苦しい」のに。そう、俺が食事をおっくうがって空腹に苦しんだように家事しなかったら環境悪化で生活がしにくくなる。労働しなかったら飯がくえない。

苦しいことからむやみに逃げない。逃げるとさらに苦しいことになるからだ。それに苦しみにたえるとそれが終ったときものすごく気持ちがいい。だから苦しみもそう悪くない。

よくいわれるこういう考えが正解だ。俺もそう思う。だけど苦しみの後の喜びのあとにはまた苦しみとそれに耐えるための時間がまっている。例えば俺はクソつまんないバイトがおわった時ものすごい開放感を覚える。特に忙しかったりムカツク客がきた時のバイト開けの開放感は素晴らしい。くたくたになって帰る途中にみる朝日は素晴らしい。

だけどそれは一瞬で消えてしまいかわりに頭の中では「あと40時間後にまたバイトだ」という思考が始まる。バイトという苦しみまであと何秒というカウンターがまわり続けている。バイトをやめない限りこれからは逃れられないのだ。

で、やめるとする。だが今度は無職による苦しみ。社会的に恥ずかしい。というか飯が買えなくなってしまうという苦しみにおそわれる。


苦しみはどこにいてもある。前向きであろうと後ろ向きであろうと俺は苦しい。乗り越えても乗り越えても新たな苦しみが生まれる。それから逃げる手段は一つしかない。死だ。

では何故俺は死なない?苦しいものからは逃げたいのに。それは完全な苦しみ0の状態にいたるまでに多分ものすごい苦しみがあるからだ。さらにその苦しみがどんなものなのかが体験したことがないから分からない。死に至るまでの苦しみは100かもしれないし10000かもしれない。0かもしれないし1億かもしれない。

だから俺はこうして苦しみから逃げまくりながら苦しんでいる。
2006年01月08日 (日) | 編集 |
一月五日、俺は自殺を図った。去年の終わりくらいからずっとそうしなくちゃとか、もうしんどいっすと思い続けていた。

五日になってすぐ、突然ひらめいた。「あ、いまだ」と。したいしたいと思っても怖くてできなかった自殺だけれど今ならいけると思った。頭がクリアになって俺は台所から包丁をもってきた。そして今も座っているこの椅子に深く座り首に包丁を近づけた。

その時なにもかもが消えていた。今考えるとこんなところで死んだら死体処理が大変じゃないか、やるなら風呂場とかでしろよとか思うがその時はそういう思考はいっさいなかった。

結論からいうと俺は実行出来なかった。気がつくと俺は包丁を手に持ってガタガタと震えていた。別に意識が飛んでたわけではなく死ねると決意して包丁とりにいってもどって首に近づけしかしズバっとさせずしばらくためらっていたその一連の流れはよく覚えている。でもそれがつながりのあるものといまいち認識できない。

俺はしばらく泣いた。そしてそのあとムチャクチャおかしくなって笑った。包丁をもどし日記を書いた。


ところでネットにはよく自殺を予告する人がいる、このブログもその一つなのかもしれない。実は前から覗いていたブログの管理人が最近自殺宣言をした。

そのブログは人気があるのですぐにたくさんのコメントがきた。もちろん多くは死なないでといった内容だ。しかしその中に混じって死ぬならこんなところに書かずとっとと死ねといったものや死にたいヤツに死なないでとか逆効果だからいうなといったコメントがよせられはじめた。

俺はどっちが正しいのかがよく分からない。俺は死なないでといわれたとき嬉しかった。心底死にたい、もう一秒でもこの世界に存在したくないと思っていたのにうれしかった。

理からいえば逆効果だからいうなとか死ぬならこんなところに書かずとっとと死ねという内容が正しいのだ。自殺予告なんてする管理人はまちがっている。ていうか自殺を考えることが間違っている。

だけど間違えだが人間はそう思っちゃうのだ。特にそのブログの管理人は俺には想像できないほどの苦しみを背負って生きている。死にたいと叫ぶことをどうしてせめられる。

コメント欄は管理人不在のまま加熱した。管理人と親しいという人が死ぬならこんなところに書かずとっとと死ねといった人たちを罵倒したのがきっかけだ。この人を仮にAさんと呼ぶ。

俺も実はこのAさんに反感をもった。Aさんが管理人さんが心配してるのはよくわかるのにもかかわらず反感をもった。で、煽る感じのレスをかえした。

自己嫌悪だ。そんな書き込みするべきでないのにしてしまった。だけど反感は消えない。それがどうしてかがよく分からない。

自分が何に怒り、何を愛すのか?俺はそれすら知らないのだ。今、俺は五日の日に死ねなかったことに意味がある、何かやり残したことがあるのだと信じようとしている。
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2006年01月07日 (土) | 編集 |
数年ぶりに「ノルウェイの森」を読み返した。以前読んだときはあまり理解できなかった緑の魅力を発見した。うん、緑っていい女だ。

で、緑と主人公ワタナベくんとの会話シーンで気になる部分を見つけたので引用してみる。


「男の人って女の子のことを考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいは女の子のことを考えてやるんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「たとえば、だよ」
「つまり特定の女の子のこと考えるわけね?」



ここなんだが俺ってあれするとき女の子のこと考えてないような気がする。どっちかというとスエズ運河に近いこと考えてる。いちおう人間のメスには人並みに性欲があるんだけど。

ううん。あれするときどんなことかんがえてるかな。今度メモとりながらやってみようかな。でもそうするとなかなか集中できなさそうだし・・・。

気になって仕方がない。
2006年01月05日 (木) | 編集 |
人生はルービックキューブに似ている。頑張って試行錯誤して一面を揃えてもそろえたことにより別の面が絶対にそろえられなくなってしまう。だからせっかくそろった面もまたバラバラにしなくちゃいけない。

揃った面を再びバラバラにするとき、ものすごく苦しい。バラバラにしないとこれ以上先に進めないとわかっているのに。

ただでさえ難しいのにたまに面が勝手に動いていることがあって混乱してしまう。

一番きついのは人生というルービックキューブには全面が揃う組み合わせがあるという保障はないっていうことだ。揃ったとしてその時どうなるのかわからない。


でも放り上げてしまうことが出来ない。どんなに疲れても、どんなにイライラしても。

人生はルービックキューブに似ている。でも人生はルービックキューブとは違う。


そして俺はルービックキューブってやつが大嫌いだ
2006年01月05日 (木) | 編集 |
今、頭の中で誰かが俺にかたりかけていた。けっこう印象ふかかったのでその内容を書いてみようと思う。


「ユーキよ。お前は不思議に思っているな。お前は愛する相手に時として憎しみを覚えてしまう。家族や親しい人間。それは何か理由のあるときもあるし、なんの予兆もなく現れることがある。」

「お前はそのことで悩んでいる。自分は狂人なんだと思っている。」

「安心しろ、お前は狂人ではない。それは全ての人がもっている感情。心に埋め込まれたシステムなんだ。」

「違う。欠陥ではない。人間の創造者は意図的にそうプログラムした。」

「苦しめるためではない。俺たちは愛と憎しみを区別。正反対のものだと考えてしまっているがそれは勘違いなんだ。それは同じものなんだ。」

「運命。一番近くてわかりやすい言葉はそれだと思う。神・・・とりあえずそう呼んでおこう、わかりやすいからな。神がわれわれに刻んだ運命なんだ。」

「われわれは人生の中で多くの人と出会う。それは避けられないこと。われわれはその中で特別な感情をもつことがある。それは特に一緒にいる時間が長い人間。なんらかの利害関係がうまれた人にたいしてうまれるもの」

「感謝。欲情。軽蔑。好意。憎しみ。嫌悪。そして愛」

「俺たちは無数の言葉でそれを表現する。でも実はそれはすべておなじものだ。」

「ただ感情の強弱は存在する。それが強すぎる相手に人は特別な行動を起こしてしまう。」

「その中にはわれわれがタブーとしたものも含まれているし正義だと定義したものも含まれている。」

「神にとってはそれはどうでもいいことだ。ただ神はわれわれをそう作った。」

「たった一人の人がいる。お前にもいる。全ての人間に用意されている。」

「お前もその"たった一人の人"に出会うことだろう。もしかしたらもうすでに出会っているのかもしれない。」

「お前はその人を愛すだろう。そして時に憎しむだろう。憎しみを覚えたときお前は自分を責めてしまうだろう。それは間違っている。」

「俺たち。人間はみなたった一人の人のために生きているんだ。俺たちはその人にたいして感じる感情。運命に従わなければならない。」

「ただバグがある。本物そっくりの感情があらわれることがある。それに気付かなければならない。」

「俺たちは愛したいと思ったときに"たったひとりの人"を思いっきり抱きしめなければならないし殺意を持ったときには"たったひとりの人"を自らの手で殺さなければならない。」

「ユーキよ。お前は自分の中の感情を否定してはいけない。ただその真偽をみわける観察力を養わなければならない。」


うーん・・・こうして書き起こしてみると全然意味わからんな。まあ言葉にならない言葉を俺の拙い文章力で書き起こしたのだからしかたがないか。

とりあえずもう少し睡眠をとろうと思う。きちんと寝てないとよくこんな電波を受信するから。
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2006年01月05日 (木) | 編集 |
小学生の時は誰でも7不思議などの怖い話に夢中になったと思う。

俺が通った小学校にもあった。おなじみの花子さんや理科室の動くがいこつ、音楽室のモーツァルトの目がいつもこっちを見ているなどのたわいもないものだ。

珍しいものでは学校の裏山にキリンの群れがいるというのや通学路にある豪邸はヤクザの大親分の家というのもあった。

キリンは1頭もみなかったし豪邸も数百回ほどピンポンダッシュしても怒られなかったから結局はただの噂にすぎなかっただろう。

そんななか今でも思い出すと怖い怪談に「タバコを吸う赤ちゃん」というのがある。

一時期俺の学年が荒れたことがあった。同じ時期にいわゆる不良行為をはじめる生徒が多発したのだ。もともとマジメな生徒な上夏休みあけのような変化の時期でもないときにだ。彼らは授業をボイコットしたり他校に乗り込んだり集団万引きをしたりし始めた。もちろん学校側も生徒を呼び出して生徒指導をしたり全校集会をするなどして対応しようとした。



「深夜テレビにタバコを吸う赤ちゃんが出ていた。それをみたら突然なにもかもがいやになった。」

ある日、呼び出された生徒の一人がこういうことを先生に話したという。この噂はあっというまに学校中に広まった。深夜のテレビにタバコを吸う赤ちゃんがうつる。それをみてしまうとおかしくなってしまう。


その当時の友達の一人がこの噂の真偽をたしかめてみるといいだした。がんばって夜中までおきて本当に赤ちゃんが出るか確かめるといった。


彼が赤ちゃんをみたのかは分からない。


ただそのころから温和だった彼がやたらと攻撃的になりだれかれかまわず喧嘩をふっかけたり学校をサボったりしはじめたのは確かだ。俺自身も彼に家族を侮辱されたりしておもいっきり殴り合いの喧嘩をしてしまいいつの間にか疎遠になっていった。


一度俺も噂の真偽を確かめようと思ってこっそり夜遅くまで起きてテレビをみていた。しかし12時をすぎたくらいでもし本当だったらという恐怖と睡魔のため寝てしまった。なのでこの話が本当なのか嘘なのかは今でも分からない。
2006年01月05日 (木) | 編集 |
今突然思い出したことを書く

妹が産まれたのは俺が幼稚園の年長組のときだった。

母は産む一週間くらい前から入院していてその間幼稚園の迎えは父だったり母の実家からきた祖父母だったり母の友達のおばさんとかだった。

毎日違う大人がファミレスにつれてってくれて「もうすぐお兄ちゃんになるね」とか話をしてくれた。俺はまだ妹ができることの意味はわかっていなかったけど世界がもうすぐ変わるということはなんとなく分かっていた。

怖かった幼稚園の先生もとても優しかった。迎えにくるまでお菓子を食べさせてくれたりした。

ある日、父の友達だという人が迎えに来た。見たことのない人だった。幼稚園の先生にさよならといってそのおじさんの車に乗った。

いつもはデパートにいったりファミレスにいったり病院にいったりするのにその日はそのどれにもよらずにその人の家にいった。

そこにはおばさんもいた。よくきたねと歓迎してくれた。ラーメンを作ってくれた。ただの袋ラーメンだったと思うけどとてもうまかった。

でもこの二人に見覚えはなかった。二人は俺のことをよく知っているみたいだった。

小さい俺は「だれですか?」とたずねようとしたが子供ながらにそれはしつれいなことだと思っていたからできなかった。

おじさんとおばさんはラーメンのほかにもおいしいお菓子やジュースもご馳走してくれた。

夜になって眠くなったのでねむいですといったらおじさんが「じゃあかえろうか」といった。

当時俺は団地に住んでいていつもは部屋の前まで送ってくれるのに今日は団地の手前でおろされてそのままおじさんは車で去っていった。いまだからこれは変だと思うけどその時の俺はなんともおもわずにそのまま階段を上って自分の家へ帰った。

父がものすごい真っ赤な顔をしていた。いきなり殴られた。ものすごく痛かった。

「向かえにいったのにお前はどこにいたんだ」と怒鳴った。俺は「おじさんのところ」と答えたけど信じてもらえず殴られて怒られた「もうすぐ兄になるのにお前はなにしてるんだ」といわれた。

このときは父が怖くてひたすら謝っていたが今考えるとどうしてこういうことになったのか?



あのおじさんは父が頼んだから俺を向かえにきたんじゃないのか?

2006年01月05日 (木) | 編集 |
2ちゃんねるでいじめ自殺した中学生のスレがたってた。それ読んでたら全然眠れなくなってしまったので考えたことを書く

いじめられるのは いじめられるやつに原因がある。

こういう考えがある。俺はこの考えがヘドが出るほど嫌いだった。だって原因とかいいだしたらどんな特徴もいじめの理由にできるじゃん。

例えば俺なら
貧乏。暗い。低学歴。家族崩壊。フリーター。いけてない。低身長。流行にくわしくない。アニオタ。ゲーオタ。

↑ざっとこれだけ出てきた。これ全部いじめの理由になるよね?

いじめられるのは いじめられるやつに原因がある。

こう主張する人がいうとおりに努力してこの全てを直したらいじめられなくなるのか?

でも金持ちで明るくて高学歴で一流企業でイケメンで高身長で流行に敏感でアニメゲームは一切やらない俺は本当に俺なのか?俺がこう変わったとしてこれは俺ではなくて別の生き物ではないのか?だってこんなのいまどき少女漫画にもいないだろう?

というか金持ちで明るくて高学歴で一流企業でイケメンで高身長で流行に敏感でアニメゲームは一切やらない人間はまたそれを理由にいじめられるんじゃないかな?

いじめを克服するのに自分を消すしかないとしたら自殺でも別にいいんじゃないかな?
だって自分がなくなるという点には変わりないでしょ。違いなんてあるの?


いじめられるのは いじめられるやつに原因がある。

いじめかどうかは知らないけど俺は集団で"無視"されたことがある。まるで俺が存在しないかのように扱われるのだ。

俺はこれにどう対応したらよかったのだろう。前兆とかなくてある日唐突にこういう扱いを受け始めたのだ。

俺はこう対応した。首謀者の男4人グループをかぎだした。そいつらにどういうつもりだ?俺がなんか悪いことしたかと尋ねた。

もちろんそいつらは無視した。俺がなんといってもただニヤニヤ薄ら笑いを浮かべていた。俺は何度かそれをくりかえしたが同じだった。

俺はキレた。そいつらが一人行動しているときに捕まえて4人ともボコボコにした。俺は運動神経ないからあまり喧嘩強くないはずだけど相手は驚いてたようでろくに反撃もしてこなかったから無事4人とも倒した。

俺は職員室によびだされた。理由をきかれ「無視されて頭にきた」といったけどもちろん信じてくれはしなかった。あいつらは「いきなり殴られた」といってるぞでおしまいだ。

その件で無視はクラス全体にひろまった。


あのとき俺は無視をやめてもらいたかった。殴ったのは悪かったのだろう?ではあのとき俺はどうしたらよかったのだろう。仮にタイムマシンであのときに戻ったとしても同じことを繰り返してしまうと思う。誰か教えて欲しい。

俺は間違った。答えを知りたい。



いじめられるのは いじめられるやつに原因がある。

こう考える人は俺がおもっていたよりずっと多いみたいだ。だからヘドを吐いてるだけではいけない。彼らの考えを知らなければいけない。何故そう思うのか。

結構盛り上がってたスレだけど誰も「どうすればいじめはなくなってたのか?」は書き込んでなかった。


俺は答えをもたない。あなた教えてくれますか?

2006年01月05日 (木) | 編集 |
俺がうまれたその瞬間に
二人の人はきづいてしまった
自分の夢がきえてしまったことに
二人の罪に神が与えた罰が俺

生まれてしまって困った二人は
いやいやながらも俺を育てた

成長するたびいたみが増える
いつかいたみにたえきれられず
消えてしまうとわかっていても
罰から逃げることなどできず

そうして彼らは俺を育てた

俺は多くの人を傷つけた
そうするだけの権利があると
信じたふりして悪意をぶつけた

どうしていいかと困ったみなは
俺のことを忘れることにした

成長するたびいたみがふえる
被害者なんだと自分をなぐさめ
自分が育てた罪にはきづかず
でも確実に大きくなった

そのうち呪いに気付いた俺は
なんとかときはなたれたいと考えた
相手の気持ちを思おうとがんばった
でも呪いの子である俺に
それは無謀なことだった

俺がはなったことばの全ては
あいてのみみに届く前に
分解されて分解されて
呪いの言葉にこうちくされて
相手のココロをつきやぶる

たとえ世界の中心で愛を叫んでも
相手には死ねとしか聞こえないだろう

だから俺はひとりで生きた
これまでそうして生きてきた
これからもそうして生きてくつもり
絶望するほど価値などないから
笑顔を作って死ぬまで生きる

だけど夢はみてもいいかな
多くの夢を破壊した俺だけど
夢は育てていいかな
呪いから開放されたときを
想像してもいいかな
2006年01月05日 (木) | 編集 |
一目ぼれではなかったし 電気も走りはしなかった
世界はいっぺんしなかったし 自分が強くなるわけもない

だけどある日発見する 君のことばかりかんがえてると
君のしぐさの一つ一つが 僕の記憶へ蓄積されてる

君を知らずにいたならば こんなに苦しむことはなかった
たしかに退屈だったけど こんなに寂しい夜はなかった

本能がとけていくのが分かった ただふれていたいと思った
いや僕たちはいつもふれている 肉体はただのまやかしだ

全てを知ることが出来た 全てを忘れることができた

もう僕は救われた 君がそばにいるのだから 
たとえ宇宙の全てを敵にしても 君さえいたら戦える





君をせめてるわけではないし  同情なんかも欲しくない
世界は僕に興味はないし 自分もそれには納得した

だけどある日発見する 涙を流さずないてる自分を
君の笑顔の思い出たちが 僕の心臓をえぐっているよ

君に思いを打ち明けなければ こんなに苦しむことはなかった
夢が僕をなぐさめて  つらい日々を飛び越えてただろう

ふれられなくなると知ってたら もっと強く握っていた
君が痛いと怒るくらいに 強く強く君の手を

全ての喜びを与えてくれた 全ての悲しみも与えてくれた

もう僕は大丈夫 君を忘れることはできないけれど
たとえ宇宙にのみこまれても 君への感謝は変わりはしない
2006年01月05日 (木) | 編集 |
心の闇とよばれるもの 人を狂気にかりたてるもの
だれもがそれをかかえてて だれもがそれをおさえてる


ふだんそいつは隠れてるけど
ふとした時にやってきて


らくになりたいだろうとささやく


そいつはいつもねらっている
俺のこころをうばおうと
俺がけんめいにつくってきた
俺のせかいを壊そうと
俺が必死にとけこもうと
頑張る世界を壊そうと


世間の理不尽さに絶望したとき
部屋の換気をサボったとき
過去の幻影にとらわれたとき
そいつは闇からやってきて


らくになりたいだろうとささやく


そいつがささやく甘い言葉は
とてもとても残虐だけど
とてもとても恐ろしいけど
魅力をもっているのもたしかだ


そいつにとりこまれたやつをみた
どいつもこいつもいかれた面だ

だけどどいつもどことなく
幸せそうにもみえるんだ

だからそいつを苦しめてくれ
俺にそれをみせつけてくれ

たまに自信がなくなるんだ
俺の世界を守れる自信が
2006年01月05日 (木) | 編集 |
とても大きな壁を見つけた

空を見上げても頂上は見えない

頂上なんて本当にあるんだろうか

信じられなくなるくらい大きな壁だ

もしあるんだったら俺はそこへ行きたい

そこへいってこの世界を見渡す

この広い世界の全ての喜びや悲しみを


でも、どうやって登ればいいのかわからない


俺はいま、壁の前に突っ立っている

懸命に壁を登っている人たちが見える

その中のひとりが足をすべらせて落ちてきた

その人は痛みで動かなくなる

俺はその人をただ見ていた

なんて声をかければいいんだろう


やがて立ち上がったその人

痛みはもうないみたい

というより痛かったことを忘れている

壁に登っていたことさえも忘れている

「こんにちは」彼が言う

「こんにちは」俺は答える


俺はかべに寄りかかって毎日をすごす

壁が作る巨大な影が

俺のいる方向へきたとき

俺はおちこんでいる

壁の反対側に影があるとき

俺はとても前向きだ


でも気持ちはどうあれ

俺が壁のしたにいることには違いないんだ

このまま年をとり俺はここで一人死んでしまうのだろう

そのときはできれば溶けて壁の一部になってしまいたい


ある日、夢を見た

俺が壁を登っている夢

とても苦しそうで

とても楽しそうだった


その先は、忘れた

忘れたことにしようと決めた
2006年01月05日 (木) | 編集 |
最近だんだんわかったことだが

誰かが僕を呼んでいる

その人が誰かはしらないけれど

その人がいうにはこの僕は

もともとここにいるべきでなくて

なにかの手違いでここに落ちて

そうしてきづかれることもなく

長い間いきてきたのだ

そういう類のことをいうんだ


だからいろいろ混乱したと

世界ときみが混乱してると

ただしくないみちをすすんでいると



そういう類の、ことをいうんだ



そういうことをいきなりいわれて

はいそうですかと思えやしないが

いぜんよりすこしかしこくなったはずだから

もしかしてその人のいうとおりかもと

思うようになってきました


やさしいみんなはぼくをおもって

そんなのきのせい といってくれるが

それはとてもうれしいのだけど

やっぱりひとりでかんがえてると

その人のはなしは事実とおもうし

とても悲しいとおもうけど

ここにいるのはなにかの間違い

そういう結論になるんだよ



だからそろそろ訂正しなくちゃ

きづいているのにそのままなのは

りんりてきにもどうかと思うし

自分をだますことにもつながる



けれどどうすりゃていせいできるか

それがいまいちわからないから

いまもこうしてつったっているんだ



本当はわかっているけれど

はずかしいことにじっこうするのが

ちょっとばかりこわかったりする

だから知らないフリをしているのかも





いまだにためらう自分がいて

そいつが僕にこういうんだよ

まえむきなことをささやくんだよ

僕の決意をこわそうと




真実よりもたいせつなことがあるなんて

つごうのいいきれいごとを、ささやくんだよ



僕を呼ぶ声は、だんだん大きくなっている
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