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2006年03月22日 (水) | 編集 |
この時期になるとエリのことを思い出す。俺が18の時半年ほど一緒に暮らした女だ。エリの話をこれまで何人かの親しくなった人にしたが誰も信じてはくれなかった。このブログを見てる人もどうせ信じてはくれないだろうけど今むしょうにエリとの思い出話をしたい気分だから書こう。
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2006年03月12日 (日) | 編集 |
深夜番組でこんなのがあった。

もし彼氏に妊娠したと告げたら彼はどう反応するか?


もちろん妊娠は嘘。彼女の方は事前にこういうだろうという予想をする。「結婚してというと思います」とか「彼夢があるから悩むだろうけど産んでっていってくれるはず」とかみんな揃いも揃って楽観的。

告げられた男はみな驚き狼狽するが産んでといったりごめん、育てられないから堕ろしてといったりしていた。

そんな中一人猛烈におこった男がいた。

俺の子じゃねーだろー、ふざけんな!!! と

女は優しい人だと思ってたのにそんな事いうなんてひどいとショックを受けていた。



でもさ、ひどいのはどっちだよ!!!

付き合って一ヶ月の女が妊娠したっていってきたら、誰だって怒るって
2006年03月12日 (日) | 編集 |
伊坂幸太郎著アヒルと鴨のコインロッカーを読む。

連続ペット殺人事件の犯人を追うペットショップ店員琴美の話と入学早々アパートの隣の住人に本屋襲撃の話を持ちかけられる大学生椎名の話が平行して進む。

二つの話には2年のブランクがある。琴美と椎名はまったく面識がないがすぐにつながっていることが分かる。琴美の友人と椎名に本屋襲撃をもちかけるのが同じ河崎という男だからだ。

と、いつこの二つの話がリンクするのかなと読んでいたらラストにどんでん返しがやってきてひっくりかえった。ネタを知ってしまえば序盤からたくさんその伏線ははられているんだけどまあ見事にだまされました。

琴美は大好きな動物を殺す卑劣なペット殺しをつかまえたいというはっきりした理由を持つが、では河崎は何故本屋を襲撃しなきゃならないのか?これがヒントだ。

この作家今注目されてりみたいでいくつかの作品が映像化されるらしいがこれは映像化したら大駄作になるはずだ。

読む前は変なタイトルと思った。だが読み終えた今はこれ以外のタイトルは考えられない。
2006年03月12日 (日) | 編集 |
ボクはボム、つまり爆弾
なめたらあかんぜよ

ボクはボム、危険な爆弾
怒りが発火源

あんまりボクをなめてっと
ボクはボムになっちゃうよ

だから怒らせないでよね
ボクもボムにはなりたくないのよ

ボクはみんなにさけられる
それはボクがボムだから

でもボクだって
でもボクだって
好きでボムなわけじゃない

ボクの導火線をちぎってよ
だれかボクのをちぎってよ

ボムでいるのはきがめいる
仮に爆発してもさ
一番被害が大きいの
なにをかくそうこのボクさ

ボクのボムでボクの人生台無しさ

ゴムならやくにたつけれど
ボムは活用しようがないよね

ドムはかっこいいけれど
ボムのプラモは誰も買わない


ボクをおこらせないでよね
ボクをボムにしないでね

ボクはボム、ボムがボク

2006年03月11日 (土) | 編集 |
素晴らしき哉、人生

良心的な金利で貧しい人に融資をする町の小さな銀行家ジョージの話だ。

映画はジョージが幼いころの回想から始まる。
池におぼれそうになった弟のハリーをたすけて片方の耳が聞こえなくなったり、
バイト先のドラックストアで店主が薬の配合を間違っていることを指摘して医療ミスを防いだり、
後に妻となる少女メアリーとの不器用な恋などが描かれる。

大きくなったジョージは親の跡を継ぎ小さな銀行を経営する。
儲けは少ないながらも家族や友人たちと幸せに暮らしていた。
多くの貧しい人たちがジョージの良心的な融資のおかげで自分の家を持つことができた。

しかし様々なトラブルや町の悪徳銀行家ポッターの妨害で
ジョージの銀行はとうとう破産においこまれる。


絶望したジョージは「自分なんて産まれて来なければよかった」と思いつめ
クリスマスの夜、冷たい川に飛び込み自殺をはかる。

そのときジョージの前に落ちこぼれの天使クラレンスがあらわれる。
クラレンスはジョージに「ジョージが存在しなかった世界」を見せる。

ジョージがいない町はポッターが牛耳る恐ろしい町になりはてていた。
弟のハリーは池におぼれて死んでいたしドラックストアの店主は殺人罪で刑務所へ、
親の銀行はとっくにつぶれていて貧乏人は町にあふれている。
そしてメアリーは寂しく歳をとっていた。

自殺を思いとどまったジョージは家族が待つ我が家へと帰る。




映画をみて俺ももし俺がいない世界はどう変わっていただろうと考えた。
俺はジョージのような良い人間じゃない。どちらかというとポッター側の人間だ。
だから俺がいなかったら世界は今より少しだけよかった気がする。
少なくとも家族はずっと幸せだっただろう。

でももしかしたら俺の何気ない行動でどこかの誰かが希望をもてたかもしれない。
劇中でジョージとメアリーの仲をねたんだ友人が2人をプールに落とすシーンがあったが
それが結果的に2人の距離を縮めたように。
俺のようなネガティブな人間でもそう思えてしまう力をこの映画はもっている。

タイトルどおりこの映画は素晴らしかった。
アメリカ人は毎年クリスマスにみんなで集まってこの映画をみるらしい。
俺もいつか誰かとこの映画をクリスマスに見たいと思った。
天使とかもろファンタジーだけどいいじゃないかファンタジーで。


耳をすませばの変わりにこの映画を観て正解だった。
2006年03月11日 (土) | 編集 |
80年代のはじめごろ「10年後の日本人は耳栓なしで外を歩けなくなるだろう」という議論が大真面目でなされていたらしい。当時増え始めた街頭広告が社会問題になっていたのだ。

ある学者はその議論の中でこういった。

「恐ろしいのは騒音ではない。騒音になれることだ」と


予測どおり年々街頭広告は増えていったが誰も耳栓をつけて外出したりはしていない。批判していた人たちもいつしかその騒音に慣れていった。

もし今「街頭広告はうるさいからやめろ」といっても誰も耳を傾けないだろう。ヘタをすると頭の病院に叩き込まれることだ。


最近ふと思った。俺はいつのまにか携帯に疑問をもたなくなっている。

携帯がビジネスマン以外にも普及しはじめたころ。俺は携帯否定派だった。友達がいないからとかではなく、電話をもって歩き回り人前で喋り倒すことに疑問をもっていた。メールが出たときも はあ?いちいち文章でやりとりするなんてアホかって思った。着メロはうざかった。

一番反発したのは「写メール」つまり写真が撮れる携帯電話が出たときだ。

盗撮を薦めてるのか と憤ったものだ。俺だけじゃなく多くの人間がそう思ったはずだ。テレビや雑誌でも活発に是非を論じていた。


それなのに、俺はいま何の疑問も持たず携帯を使っている。いつの間にか携帯というものに慣れてしまっている。

俺はいつ・どこで・どのように携帯電話に納得したのか。それが思い出せない。ついこの間まで携帯は社会悪だとおもっていたのに。


慣れというものは恐ろしい。知らない間に世界が変わっている。

2006年03月04日 (土) | 編集 |
前向きであることは、正しいことなのに
前向きであることは、素晴らしいことなのに
前向きな人を見ると、自分の中で悪意が生まれる

きっとそれは、俺が前向きじゃないからだ。
前向きになりたいのに、前向きじゃないから。
前向きでいられる人に、嫉妬してるんだ。

俺以上に苦労して
俺以上に絶望して
俺以上に涙して
それでも前向きであろうとする人がいる。

どうして俺は前向きでないのか。
後ろ向きが好きなわけではないのに、どうして後ろ向きなんだ。

些細なことでへこたれる。あきらめる。そっぽを向く。

でも、最初からそうじゃなかったんだ。
いや、最初からそうだったんだ。

俺を責めないで、好きでこうなったんじゃない。
俺を責めて、追い詰めたら俺は成長できるかもしれないから。

俺を責めないで、もう白旗あげるから。
俺を責めて、もっともっと生きてなきゃいけないから。

いろんなことをあきらめた
努力したけどだめだったから
努力するのにつかれたから
努力に意味があるのかと疑ったから


いつのまにか、努力できない人間になった。
やればできる子 が やれない子 になっていた。
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