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2007年10月30日 (火) | 編集 |
北野武が自身の映画をアメリカの評論家に
残酷すぎると酷評されて
「だったらダイハードはなんなんだ」
とかえしたというエピソードがある。

北野映画の死者はせいぜい数人だが
ハリウッド映画の多くは100人単位で死んでたりする

しかし実際に観るとダイハードより北野映画のほうが残酷に感じる
考えてみると不思議な話だ


映画だけでなく漫画やゲームでもそういうことがある
ヴィンランド・サガで村人虐殺にワクワクしたと思えば
ウシジマ君で破滅にむかっている営業マンに心を苦しくさせられる

モンスターをバッタバッタと切り裂くアクションゲームにスカっとしたと思えば
病気で早死にする少女が出てくるノベルゲームで泣いてしまう



表現というのは本当に難しい
見てるこっちの心って奴もそれに輪をかけて難しい


表現の規制といった話は年がら年中出るが
規制ってのは本当に可能なのかという疑問は消えない
できるのは自分の気に入らない作品の規制とか
わいろをくれない出版社への規制とかだけだ


とにかく暴力はダメ、蚊も殺すなといいきれてしまえば
考えずに済むがそれはカルト宗教だし生活ができなくなる




人間ってのは矛盾なしでは生きていけないのだろうか?
だとすれば何故、人は矛盾を苦に思うのだろう

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2007年10月27日 (土) | 編集 |
亀田問題、正直もういい加減にしてくれってのが本音



TVじゃ誰もいってないけど謝罪の評価以前に
謝罪会見なんて必要なのか?

亀田一家にはちゃんと罰則は与えられているわけだし
朝青龍の時もそうだったがなんでカメラの前で謝る必要があるのか


俺たちがお前らをよいしょしてやったのに
それを裏切ったお前らは屈辱を味わうべきだ
そういう臭いしかしないのだが


野球で乱闘をした選手や
サッカーでレッドカードもらった選手が
謝罪会見開いた話は聞いたことがない



はっきりいって俺はこの一家が嫌いだ
もし近所に住んでたらと思うと寒気がする
でもそれは反則関係なくただ嫌いなだけで
それに善悪はない
今回の処分もまあ妥当かなという意見
別に処分を軽くしろとも重くしろとも思わない


が、お前らは好きだったんじゃねえの
彼らの言動とか立ち居振る舞いとかが好きだったんだろ?
なんで今それを批判してるわけ

好きならピンチの時こそかばうべきだろうに


例えばあるホラー映画があるとする
その映画の内容が犯罪を助長すると批判され規制せよという声が上がる
もちろん賛否両論でるだろう

もしそういう時その映画のファン達が
規制せよという声に賛同、いや煽ってたら
お前らは一体なんなんだ?と思わないか


今ちょうどそんな気持ちだ
2007年10月21日 (日) | 編集 |
テレビ観たりバイトしたりすると
ガキってのはどいつもこいつも糞だって思いがちだけど
実際はそんなことないんだよな

子供ってのは基本的に素直だ
人間ってのは年取るほど劣化していく
経験というものでその衰えをカバーしているだけだ

道徳ってのは世間だという説を聞いたことがある。
人は他人に変な眼で見られたくないから
いわゆる悪いこと、殺人とか盗みなどを自重するというものだ。

だがそれは本当だろうか?
世間の冷たい目というものは常に悪に対して向けられているだろうか
とてもそうは思えない
世間ってのは所詮はただの暴力にすぎないのじゃなかろうか
たまたまその暴力がいい結果を産むことがあるってだけで

俺は弱いから世間なんてしらねえぜという生き方はできないけど
とても世間が道徳だとも正義だとも絶対に従うべきものだとも思えない


子供が大きな声であいさつをしてくるとき
道を教えて礼をいわれたとき
ゴミを拾って分別してゴミ箱にいれているのを見たとき思う
この子らの多くはいつかこういうことをしなくなる

そしてあそこでタバコふかしてるおっさんや
下品な声で笑いながら携帯いじってるビッチを見たとき
彼らはそうじゃなかったときもあったのだと思う


俺はいつから落ちてるゴミを拾わなくなった?
いつから元気にあいさつをしなくなった?
いつから「ありがとう」が「すみません」になったんだ?


きっと覚えていないが教えられた正義に素直に従ったときに
世間の冷たい目にダメージを受けたからだろう
それを恐れて、いつのまにか正義を行わなくなったのだ


あの子供に俺はあいさつを返した
が、大きさはどうだった?表情は?
もしかしたら俺の対応があの見知らぬ子供に
世間という暴力の洗礼となったかもしれない

そう思うと自分が恥ずかしくなる。
DQN死ねといいながら、未来のDQNを作っているのだ
まるで武器を輸出しながら反戦を主張する大国のようだ。


確かにきれいごとばかりじゃ生きていけないが
やっぱりゴミを拾ったりあいさつをすることで
傷つくような国というのは異常だと思う。


子供は国の宝だ、もっと大切にしよう






またmixiのクサレ偽善野郎みたいなこと書いてしまった・・・

2007年10月03日 (水) | 編集 |
教科書から日本軍による自決命令があったという記述が消えたことに対し
沖縄県民が抗議集会を開いた。

その数11万人



だが、その数字は誇大だったようだ。

集会参加者や支持者はこの捏造についてこういう
数の問題ではない と



そうだ、確かに数の問題ではない。
問題は歴史という学問の一論点を
議論や研究という手段ではなく
集団の抗議という方法で決着させようとしている点だ

数の問題ではないのだ
仮に11万がねつ造で、そのほとんどが県外の活動家だとしても
逆に11万が本当で。そのほとんどが普通の沖縄県民であっても
抗議集会という手段で多様な意見を統一させようとすることが問題なのだ。


今回の件は要はアメリカであるキリスト教過激派の進化論を教えるなという抗議集会や、
ドイツのネオナチによるホロコーストはユダヤのでっちあげだから教えるなという抗議集会
と同じものだ。


歴史は学問だ。政治的圧力や主観的道徳を個人で主張するならともかく
圧力で教科書に載せてはいけない。

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