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2006年05月14日 (日) | 編集 |
最近考えるようになったんだが死ぬってのにも準備がいる。

もちろん突然の事故とかで死ぬことも多いけど、ほとんどの人間は病気や老衰で死ぬ。一般的にそうやって死ぬやつは死ぬかなり前からそれなりに死を自覚してるはずだ。

だから準備をしなきゃいけない。死ぬにも礼儀ってものがあるわけで。

バイトの引継ぎとかと同じだ。終ったらほったらかして帰らず終って帰る前に次のシフトの人に状況説明をしたり片づけなきゃいけない。

死にゆくものには家族や福祉の人など、つまり自分の死体を処理しなきゃいけない人たちに具体的に死んだ後のことを説明する義務がある。そうしないとその人たちが情報不足で困ったことになる。

遺産や自分の埋葬方法なんてのも大事だけどその前にしなきゃいけないこともある。

例えば人間はたくさんの物がないと生きられない。死んだ後それらのうち何を残すか、何を捨てるか。それをはっきりつたえなくきゃ駄目だ。

いいよ、全部家族にまかせるよという人もいるだろう。でも家族にいわせりゃこれほど困る言い方もない。社長に本音で思ってることはっきりいってと言われても困るだろう、あれと同じだ。

生きてる人間は多かれ少なかれ死者に対する恐怖がある。だからどうみてもガラクタな故人のものですら祟りを恐れてなかなか捨てたりできない。無神論者でもそうだ。とくに写真や旅行先のおみやげなどは捨て難い。

はっきりと捨てていいというのは愛だ。どうしても捨てて欲しくないものは一緒に埋葬してくれとはっきり伝える。日本はただでさえ狭い。死人に場所をさくなんてことは慎むべきだ。

頑張れば死ぬまでに自分のものは旅行ケース一つくらいにおさまるはずだ。どうせあの世にものはもっていけない。もう死ぬと悟ったら趣味のものなんて必要ない。早めに売るなり譲るなり捨てるなりしなくてはダメ。

自分にとってはかけがえのない物も他人からみたらただのゴミなのだ。そしてもう自分はいなくなるのだ。

死人が生きてる人間の足をひっぱるなんてもってのほか。

忘れられるまで人は死なないとよくいうけれど
肉体的に死んだやつは死んでりゃいいんだ。

いつまでも忘れないで欲しいとか
これをボクだと思ってとか
天国でいつまでも見守ってるとか

みっともなこと思っちゃいけない。
思っても言ってはいけない。


この世でのことはこの世でケリつけようよ。
これ書いてる今いろいろあって落ち込んで
ちょっとしんじゃいたいなって気分なんだけど

死にたいときは現実的な死ぬ準備をする
ってのがベターな気がしてきた。
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