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2006年01月08日 (日) | 編集 |
一月五日、俺は自殺を図った。去年の終わりくらいからずっとそうしなくちゃとか、もうしんどいっすと思い続けていた。

五日になってすぐ、突然ひらめいた。「あ、いまだ」と。したいしたいと思っても怖くてできなかった自殺だけれど今ならいけると思った。頭がクリアになって俺は台所から包丁をもってきた。そして今も座っているこの椅子に深く座り首に包丁を近づけた。

その時なにもかもが消えていた。今考えるとこんなところで死んだら死体処理が大変じゃないか、やるなら風呂場とかでしろよとか思うがその時はそういう思考はいっさいなかった。

結論からいうと俺は実行出来なかった。気がつくと俺は包丁を手に持ってガタガタと震えていた。別に意識が飛んでたわけではなく死ねると決意して包丁とりにいってもどって首に近づけしかしズバっとさせずしばらくためらっていたその一連の流れはよく覚えている。でもそれがつながりのあるものといまいち認識できない。

俺はしばらく泣いた。そしてそのあとムチャクチャおかしくなって笑った。包丁をもどし日記を書いた。


ところでネットにはよく自殺を予告する人がいる、このブログもその一つなのかもしれない。実は前から覗いていたブログの管理人が最近自殺宣言をした。

そのブログは人気があるのですぐにたくさんのコメントがきた。もちろん多くは死なないでといった内容だ。しかしその中に混じって死ぬならこんなところに書かずとっとと死ねといったものや死にたいヤツに死なないでとか逆効果だからいうなといったコメントがよせられはじめた。

俺はどっちが正しいのかがよく分からない。俺は死なないでといわれたとき嬉しかった。心底死にたい、もう一秒でもこの世界に存在したくないと思っていたのにうれしかった。

理からいえば逆効果だからいうなとか死ぬならこんなところに書かずとっとと死ねという内容が正しいのだ。自殺予告なんてする管理人はまちがっている。ていうか自殺を考えることが間違っている。

だけど間違えだが人間はそう思っちゃうのだ。特にそのブログの管理人は俺には想像できないほどの苦しみを背負って生きている。死にたいと叫ぶことをどうしてせめられる。

コメント欄は管理人不在のまま加熱した。管理人と親しいという人が死ぬならこんなところに書かずとっとと死ねといった人たちを罵倒したのがきっかけだ。この人を仮にAさんと呼ぶ。

俺も実はこのAさんに反感をもった。Aさんが管理人さんが心配してるのはよくわかるのにもかかわらず反感をもった。で、煽る感じのレスをかえした。

自己嫌悪だ。そんな書き込みするべきでないのにしてしまった。だけど反感は消えない。それがどうしてかがよく分からない。

自分が何に怒り、何を愛すのか?俺はそれすら知らないのだ。今、俺は五日の日に死ねなかったことに意味がある、何かやり残したことがあるのだと信じようとしている。
意味はあったのだろうか
今もたまに考える
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2006/01/08(日) 02:24:45 | | #[ 編集]
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2006/01/08(日) 02:34:11 | | #[ 編集]
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