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2007年10月30日 (火) | 編集 |
北野武が自身の映画をアメリカの評論家に
残酷すぎると酷評されて
「だったらダイハードはなんなんだ」
とかえしたというエピソードがある。

北野映画の死者はせいぜい数人だが
ハリウッド映画の多くは100人単位で死んでたりする

しかし実際に観るとダイハードより北野映画のほうが残酷に感じる
考えてみると不思議な話だ


映画だけでなく漫画やゲームでもそういうことがある
ヴィンランド・サガで村人虐殺にワクワクしたと思えば
ウシジマ君で破滅にむかっている営業マンに心を苦しくさせられる

モンスターをバッタバッタと切り裂くアクションゲームにスカっとしたと思えば
病気で早死にする少女が出てくるノベルゲームで泣いてしまう



表現というのは本当に難しい
見てるこっちの心って奴もそれに輪をかけて難しい


表現の規制といった話は年がら年中出るが
規制ってのは本当に可能なのかという疑問は消えない
できるのは自分の気に入らない作品の規制とか
わいろをくれない出版社への規制とかだけだ


とにかく暴力はダメ、蚊も殺すなといいきれてしまえば
考えずに済むがそれはカルト宗教だし生活ができなくなる




人間ってのは矛盾なしでは生きていけないのだろうか?
だとすれば何故、人は矛盾を苦に思うのだろう
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