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--年--月--日 (--) | 編集 |
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2007年12月21日 (金) | 編集 |
佐世保で銃乱射した犯人が犯行直前知人に
どうせいずれ死ぬんだから人生好きにいきたほうがいい
と話していたというニュースを聞いた。

解説者はこの発言から犯人の心の闇がわかるといってたが
この考え方になにか問題あるか?
問題はやりたいことが好きな人たちと無理心中ってとこだろう

自分は永遠に生きると考えることや
人生は試練なのだからひたすら苦しみに耐えろ
という考えよりかは犯人の考えのほうがマシだと個人的に思う

やりたいことが健康的でなおかつ社会的にも有益なことになるには
どうすればいいのか?って事を考えるべきなんだけど
まったくいいアイデアが浮かばないよなあ

これ書いてて仮に俺が銃なり刃物なりで好きな人たちと
無理心中しようと決意したとしても
誰も頭に浮かばない現実に気づき少し狂いそうになった。

はっきりいって俺よりこの馬込のほうが物質的には恵まれているから
金や愛で解決するって問題ではないことは確かだ。
じゃあ一体鍵はなんなのだ?
2007年10月21日 (日) | 編集 |
テレビ観たりバイトしたりすると
ガキってのはどいつもこいつも糞だって思いがちだけど
実際はそんなことないんだよな

子供ってのは基本的に素直だ
人間ってのは年取るほど劣化していく
経験というものでその衰えをカバーしているだけだ

道徳ってのは世間だという説を聞いたことがある。
人は他人に変な眼で見られたくないから
いわゆる悪いこと、殺人とか盗みなどを自重するというものだ。

だがそれは本当だろうか?
世間の冷たい目というものは常に悪に対して向けられているだろうか
とてもそうは思えない
世間ってのは所詮はただの暴力にすぎないのじゃなかろうか
たまたまその暴力がいい結果を産むことがあるってだけで

俺は弱いから世間なんてしらねえぜという生き方はできないけど
とても世間が道徳だとも正義だとも絶対に従うべきものだとも思えない


子供が大きな声であいさつをしてくるとき
道を教えて礼をいわれたとき
ゴミを拾って分別してゴミ箱にいれているのを見たとき思う
この子らの多くはいつかこういうことをしなくなる

そしてあそこでタバコふかしてるおっさんや
下品な声で笑いながら携帯いじってるビッチを見たとき
彼らはそうじゃなかったときもあったのだと思う


俺はいつから落ちてるゴミを拾わなくなった?
いつから元気にあいさつをしなくなった?
いつから「ありがとう」が「すみません」になったんだ?


きっと覚えていないが教えられた正義に素直に従ったときに
世間の冷たい目にダメージを受けたからだろう
それを恐れて、いつのまにか正義を行わなくなったのだ


あの子供に俺はあいさつを返した
が、大きさはどうだった?表情は?
もしかしたら俺の対応があの見知らぬ子供に
世間という暴力の洗礼となったかもしれない

そう思うと自分が恥ずかしくなる。
DQN死ねといいながら、未来のDQNを作っているのだ
まるで武器を輸出しながら反戦を主張する大国のようだ。


確かにきれいごとばかりじゃ生きていけないが
やっぱりゴミを拾ったりあいさつをすることで
傷つくような国というのは異常だと思う。


子供は国の宝だ、もっと大切にしよう






またmixiのクサレ偽善野郎みたいなこと書いてしまった・・・

2007年09月18日 (火) | 編集 |
また「いじめ」による自殺者が出た

被害者は金銭を要求され続けていたという。


学校はなぜいじめに対応しなかったのかとか
命の大切さを知ってれば自殺なんてとか
いう以前にだ

これは脅迫なんじゃないのか?
いじめという言葉で終わっていいのか
普通に警察に頼るべき問題だろう。


もしもあなたがチンピラに金を要求され
断ると殴られ、殺すぞと脅される。



あなたは、戦えますか???


警察に助けを求めるのがせいいっぱいではないだろうか
いやそれすらも、復讐を恐れて躊躇するかもしれない。



よくしたり顔でいじめはどんな社会にもあるとのたまう者がいるが
そんなことは誰だってわかっている


だからこそ、それに対する対策が必要なのだ。


盗人はどこにでもいる、だから物に執着するのはやめろ
強姦魔はどこにでもいる、だから貞操感覚なんて捨ててしまえ
政治腐敗はどこにでもある、だから政治批判なんてやめろ
病原菌はどこにでもいる、だから治療なんてやめろ

このような意見はバカげているだろう。
だがどういうわけか、いじめと呼ばれる問題では
この手のものいいが正論としてまかりとおっている。



犯罪はどこにでもある。
だからどこでおきても対処できるようにすべきなのだ。
それができないのならアメリカのように
市民に重火器の所持を認めるべきだ


死人は増えるが人間としての尊厳は保てるだろう。
2007年06月19日 (火) | 編集 |
プレカリアートの希望は戦争に非ず─赤木智弘批判(攝津正)

長いので引用はしない。要は31歳の深夜コンビニバイトの男が
サヨク雑誌「論座」にこんな世界はスクラップ&スクラップと
書いた。それがサヨ界にちょっとした衝撃を与えたってことだ

ぶっちゃけこんなのを載せた論座のほうが問題だと思うが
まあいい。ネトウヨ叩きのためならなんでもやるっていう姿勢は
言論としてはどうかと思うが商売としては間違っていないと思う。

テロっていうのは貧困ではなく、退屈から起きると俺は思う
飯もくえないような状況では殺意や憎しみすら起こらないと
思う。人生つまんないからみんな死ねっていう感覚になるのだから
人生つまんないがまあまあ楽しいくらいに思えるようになれば
こういった発想はしなくなるんじゃないかな

俺も赤木って人とにた境遇なのでつらいってことはわかるが
客観的に見てもっと大変な人はいっぱいいるわけだし
そんなに社会うらむなよといいたい
まあ俺も疲れるとみんな死ね、隕石落ちろと思っちゃったりするけど
そういうときは寝るに限る、起きててもしんどいしね

この人は一見虐げられているが別の一面からみたら恵まれている
31でフリーターやれて生きていけることがそうだし
たくさんの人が書きたいと思っているだろう論座に文も書けた
そういう面もあるんだと考えるのもいいんじゃないかな


ただこういった発想を変えて前向きになるっていうのは
あくまでも自分自身で、自分自身のみを対象にすべきであって
強者が弱者にその思考法をすすめると
改革は止まり社会格差を容認するだけになってしまう

例えば賃金が安すぎる、なんとかしろという労働者に
中国人はもっと安い賃金でもっと働いているという経営者がいる

例えば福祉をもっと充実してくれ、障害者は死ねってかという有権者に
あなたたちのような人は昔は野たれ死んでた、生きてるだけで幸せだという政治家がいる


上に対してはわがままに待遇改善を要求をし、
自らに対しては今を楽しむことを要求する
言うは易しだがなかなか難しいことだけれど
悶々と終末を妄想するよりはマシだと思うのだが



ってなことをバイト明けの疲れた頭で考えた

書いてる最中ふと2ちゃんのコンビニ板に書き込まれていた

コンビニの仕事がちゃんとできる人間は
コンビニなんかで働いていない

というコピペを思い出した(ーー゛)
2007年06月09日 (土) | 編集 |
「いじめ許さん」全員に体罰 辞表の先生、保護者が慰留 京都

体罰を加えたことをわびる教諭に、教諭の熱意を正面から受け止めた児童と保護者。京都府京丹後市の市立小学校で、「クラスメートへのからかいをやめなかった」とクラス全員に体罰をした男性教諭(28)が辞表を提出した。しかし、保護者のほぼ全員が辞職の撤回を求める署名を提出。思いとどまった教諭は謹慎処分が解けた8日、児童らと互いに謝罪し、きずなを深めたという。市教委は「近年、学校に理不尽な要求をする保護者が増える中、教諭の熱意が通じたのでは」としている。

 市教委などによると、教諭のクラスでは1人の男児の外見を一部児童がからかい、他の児童も黙認する状態だった。教諭は「(次にからかったら)みんなをたたいて教師を辞める」と注意したが、今月4日、再びからかいがあったため、「ここで放置すると、いじめに発展しかねない」と判断、からかわれた男児を除く全員のほおを平手打ちした。

 報告を受けた校長は同日夜、保護者らを集め、教諭とともに謝罪。3日間の自宅謹慎を命じられた教諭は辞表を出した。ところが、寛大な処分を求める署名運動が保護者の間で始まり、全校の児童191人の保護者ほぼ全員分の署名が学校に提出された。

 その後、教諭が二度と体罰をしない意思を示したため、校長は辞表を返却。謹慎処分が解けた8日、うつむいてわびる教諭に、児童たちも泣きながら「私たちが悪かった」と謝ったという。

 教諭は採用4年目で、同小には今年度着任。校長によると、熱心でまじめな人柄で、子供のころに外見を理由にした嫌がらせを受けた経験があったという。

 引野恒司・同市教育長は「学校に理不尽な要求をする保護者も少なくない風潮なのに、教諭の行為を熱意ととらえ、署名運動まで起きるとは驚いている」とした上で、「体罰の事実は事実なので、子供や保護者の心情を受け止めた上で適正に処分はする」としている。

 河上亮一・日本教育大学院大学教授(教師論)の話 「教師として、職をかけてもやってはいけないことを示す覚悟も必要。児童や親にもその姿勢が伝わったのではないか。最近ではこういう先生はめずらしく、評価すべきだ」

 森毅・京都大名誉教授の話 「熱心だから体罰が許されるという話ではない。教師が体罰をするなら辞めるしかないと思うし、保護者らはそれを非難するにしても支持するにしても、もう少し学校と冷静に付き合う手だてがあるのでは」




このケースでは殴っていいんじゃないだろうか
教師は次こんなことをしたら殴るぞと予告している
もし生徒がいじめを悪いことだと考えていなかったら
この予告を聞いた時点で親なり教育委員会なりにちくっているはずだ
センセーが○○くんいじめたら殴るっていうんだよお と

そうしなかったってことは自分たちは悪いことをしていると自覚していたはずだ。自覚していたがやったってことは教師は殴るわけがないとタカをくくっていたか、クビに追い込もうと策謀していたかのどちらかである。つまり完全になめているわけだ。

はたしてガキが怖くもない人間のいうことを聞くだろうか?
大人でも自分より弱い立場の言葉に耳を傾ける者はあまりいないのに
おえらい大学教授さんはこの教師を全面否定しているが
じゃああんたはどうやって解決したの?と聞きたい

クソガキが殴られもせず成長していく社会って俺は恐ろしい。
ちょっと前電車でレイプされてる女をたくさんの人間が目撃していた
のに誰も止めようとも通報しようともしなかったという事件があったが
ガキのころから見て見ぬふりを悪だと教えないようではこれからもそういったことは増えるだろう。見て見ぬふりが悪だと思っていてもそういった時に止めに入るのは怖いのだから

今回のケースでは体罰当然、よくやったといいたいが
俺は別に体罰容認派でも否定派でもない。
俺自身何度も殴られた経験をもつが
殴られて当然だったことはない
殴らずにすむなら殴らんほうがいいだろうが、
殴れないってのもどうかと思う
殴らないと殴れないじゃぜんぜん違うもんな

殴らずにいじめを解決できるような教師ってのもいるのだろう
実際聖人としかいいようのない教師に出会い人生を輝かせる人も
いる。しかしそんな教師は一握りのはずだ。

ほとんどの教師は普通の人間にすぎない
オナニーもするし無意味にイライラするし
給料前にはカツカツになり休日はパチ屋に並ぶ

いろんな人がいろんな教育改革案を出しているが
それらを読むとみなすべての教師に
聖人教師と同じだけの能力があると思い込んでいる
ほとんどの教師はそのへんにいるただの
おっさんおばさんにすぎないってことを忘れている

彼らの案は例えるならオリンピック会場を観察して
すべての人間はだいたい100メートル10秒くらいで走れる
と結論づけてるようなものだ。
どんなに頑張っても15秒はかかる人間がほとんどってことを
忘れている。

最近の教師がクズばかりといわれているが
昔から教師はクズばかりだったんじゃなかろうか
親だってほとんどがクズだし
総理大臣だってほとんどがクズだ

クズでもギリギリなんとかなるような方法を考えるべきだ


2007年05月16日 (水) | 編集 |
とうとう開始された赤ちゃんポストに早速一人入った
だがポストに捨てられてたのは赤ん坊ではなく、三歳児だった。

第一報を聞いた時は驚いたが、ちょっと考えてみれば
こういう事態も充分ありうる。赤ん坊を捨てたいと思う人間も、
赤ん坊ではない子供を捨てたい人間もいっぱいいる。
それなのに全く予想できていなかった。
この問題についてはかなり真剣に考えていたのに

赤ちゃんポストについて書いてるブログをいろいろ見たけど
赤ちゃんだけでなく自我がめばえた子供も捨てられるぞと
警告していた記事はみあたらなかった。

今ふりかえるとみんな、ただ不毛な宗教論争やってただけだ
俺自身も宗教論争なんてしないと思い込んでただけで、
思いっきり参加していた。



考えてみればポストという形式が新しいだけで親に捨てられる子供はいっぱいいる。
そのほとんどが残念ながら不幸な人生を送る。
幸い日本では捨て子あまり少年兵にされたり食われたり変態に売られたりすることはないが、
別の苦労と不幸がまっている。

いい子ぶるつもりはないが俺は捨て子をかわいそうに思う。助けたいと思う。
でも、そういう子になにができるのかと考えるとなにもできない。
自分の生活だけでギリギリだから経済的援助はできない。
では精神的に力になれるかというとそれも無理っぽい

仮に捨て子を慰めるつもりで必死で語りかけても
その言葉はその子を傷つけるだけだ。
君を捨てた親なんてわすれちまえといって傷がいえるか?広がるだけだ


結局俺にできるのはもっともっと働いて税金をいっぱい納めることくらいなのだ。
悔しいけれどこんな単純な盲点にすら気付かない程度の人間なのだ。




2007年04月07日 (土) | 編集 |
赤ちゃんポスト制度が正式にはじまった。
これまで死んでた赤ちゃんが、しなずにすむというのはいいことだ

反対派は捨て子を気軽にする親が増えるのではないかとか
匿名はまずい、捨てた親がわかるようにしろとか
子供が自分の出生を知ったとき苦しむ
などという。

その言い分は全部わかるけれど
捨てやすいからって捨てようなんて親はろくな育て方しないだろうし
匿名でなかったら誰も捨てにこない(これない)だろうし
苦しむのは捨て子の子だけではないわけだし
俺はこのアイデアに反対しない


ただ、いっぱいきたとき対処できるのかとか
子供捨てようなんてバカがポストまでわざわざもってくるのかとか
そういった疑問は感じる
朝インタビュー受けてた院長さんもそのへんは答えられなかった。



ちょっと前女は子供を産む機械と発言して批判された大臣いたけど
機械でのたとえは乱暴だが、たしかに女は子供を産むソフトを装備している。


だけど、女は子供を育てるソフトは装備されていない。
それは、自分でインストールしていくしかない。


伝統や宗教、そういった見方によっては強い抑圧によって
女は育てる機能を幼いころからインストールされてきたんだけど、
現在それは少しずつ崩れてきている。フェミニストはいいことだと
いうだろうし保守派はとんでもないことだというだろうが
とにかくそうなってきている。


だから女は自分で一から「子供を育てるソフト」をプログラムして
インストールしていかなければいけない。
ある意味、産んだ子供と一緒にもう一度成長していかなければいけない。


すごく大変なことだとは思う。
でも少しそれができる女、いや母親をうらやましく思う


俺みたいな妻も子ももたない低収入の男になにができるのか考えたが
悲しいくらいなにも浮かばなかった、無念だ


最後にこの文を書いている途中で見つけた記事を引用する
胸糞がわるくなるので体調悪い人は読まないほうがいいです。











4歳生ゴミで生存、1歳放置死…21歳母を殺人で起訴




北海道苫小牧市高砂町の市営住宅で昨年12月、無職女が男児2人を1か月以上置き去りにしたうえ、死亡した三男(1)の遺体を遺棄した事件で、生き延びた長男(4)が生ゴミや生の米、冷蔵庫内のケチャップやマヨネーズを食べて命をつないでいたことが、札幌地検などの調べでわかった。

 同地検室蘭支部は6日、母親の山崎愛美(よしみ)被告(21)(死体遺棄罪で起訴済み)を三男に対する殺人罪で札幌地裁室蘭支部に起訴した。長男への保護責任者遺棄罪での追起訴も検討している。

 同地検によると、山崎被告は兄弟を育てるのが煩わしくなり、昨年10月30日ごろ、2人にチャーハンを食べさせた後で交際相手の家に行き、12月4日に戻るまで2人を放置した。三男の青空(そら)ちゃんはすでに死亡、遺体はミイラ化していた。死因は餓死か低体温症とみられる。

 一方、長男は元気で、山崎被告が戻ってドアを開けると飛び出してきたという。山崎被告は「2人を殺してしまおうと思った。2人とも死んでいると思ったので、(長男が生きていて)驚いた」などと供述している。

 同地検は、長男に対する殺人未遂罪の適用も検討したが、放置された後も健康だったことなどから、立件は困難と判断した。

 同地検は先月13日、青空ちゃんの遺体を交際相手宅の物置に放置したとして、山崎被告を死体遺棄罪で起訴した。二男は2004年に窒息死している。

(2007年4月6日22時38分 読売新聞)





こういう女を死刑にできない限り、どんな方策をとったって日本から無残な死を遂げる子供はいなくならないと思う
2006年09月08日 (金) | 編集 |
山口で同級生殺して逃げていた少年は結局死体で発見された

死んだとわかったとたんにマスコミは実名報道を始めた
その理由は、少年は死んだからもう更正しないってものだ

ものすごく違和感がある。
俺は逆に、死んだからこそ実名は控えるべきだと思う

社会的制裁を加えるって理由ならまだわかる
加害者家族の人生を台無しにして自殺に追い込んでやる
っていう意味で実名報道するのはわかる。

あいつら地獄におちろっての誰もがもつものだから
でも、それは否定しないけれど報復するなら
自分達は報復しているんだっていう認識が必要じゃないだろうか
例えば同じ山口県の母子殺人事件の犯人とその親に対し
俺は個人的に強い怒りを感じる
地獄の苦しみを味わって死んで欲しいと思う
彼らが苦しむような記事を喜んでよむだろう

でもそれは社会的正義のためなんて理由ではないし
犯罪が少しでも減ればなんて気持ちでもない
純粋な憎しみであり、殺意だ
暴力を渇望する心以外のなにものでもない

マスコミが怖い
実名報道するからでも、プライバシー暴いて苦しめるからでもなく
それらを正義だと信じているようにみえるからだ

カルマ落としと称し殺人やテロ行為を正当化していた
オウム真理教が重なってしまう



話は変わるがそもそもこの事件に親の責任はあるんだろうか
加害者被害者双方とも死んでいるから真相はわからずじまいだが
これって男女関係のもつれだろ

この事件に限らず重犯罪者の親を責めるものがよくいるが
正直俺にはよくわからない。

まず、絶対に子供が殺人者にならない教育方法がわからない
あと、家族が犯罪者になったとして、何を反省すればいいかがわからない

俺がおかしいのか、違和感が消えない。
この人らって自分や自分のまわりの人間は絶対に人を殺さないって思ってるんだろうか?


誰かしってたら教えてくれ、子供が絶対に殺人をしない子育てってやつを・・・

そんなのがあるならの話だけれど


2006年09月03日 (日) | 編集 |
研修生、時給450円残業 千葉養豚場殺人


社団法人「千葉県農業協会」が受け入れている中国人研修生(26)が研修先の養豚場で男女3人を殺傷したとされる事件で、本来は残業してはいけない研修生が時給450円で月50時間前後の残業をしていたことがわかった。この養豚場主(68)は朝日新聞の取材に対し、「残業がわからないようにするために預金通帳を二つ作り、残業代を別に入金するように協会幹部にいわれた」とも証言。通帳はすでに千葉県警に任意提出され、県警も関心を寄せている。

 事件が起きたのは8月18日夕。同県木更津市の養豚場で中国人研修生の崔紅義(ツイ・ホンイー)容疑者=殺人と殺人未遂の疑いで逮捕=が、協会理事で研修生事業担当だった越川駿さん(62)と女性通訳(44)らを刃物で刺し、越川さんを殺害、2人に重傷を負わせたとされる。

 関係者によると崔容疑者は7月ごろから、「もっと給料の高いところに移りたい」と訴え、8月中旬には部屋に閉じこもるようになったという。研修継続が難しいと判断した協会と養豚場主は、崔容疑者の帰国を決定。空港に連れていこうとする越川さんらを崔容疑者が刃物で刺し、自らも農薬を飲んで自殺を図ったが命をとりとめ、23日逮捕された。

 県警の調べに対し崔容疑者は「給料がもっともらえると思っていた」「大変なことをした」などと供述している。

 研修先の養豚場主によると、崔容疑者は4月の来日後すぐに休日も働き始め、残業が月50時間を超えることもあった。養豚場主には「来日前、中国で100万円ほどの借金をしてきた」と話していたという。

 計画に沿って作業を学ぶ研修制度では、時間外や休日の研修は基本的に認められない。だが、養豚場主は「協会幹部には『パートを雇ったつもりで使えばいい』と言われた。本人が『やらせてくれ』というので残業もさせた」と語った。450円にした理由についても、同じ協会幹部から「研修生間で格差が生じるので、450円以上でも以下でもだめだと言われた」。

 この養豚場主は7月、6万5000円の正規の研修手当を口座に入金し、主食補助の5000円は現金で手渡す一方、約2万5000円の残業代は別口座に入金したという。

 「通帳を一つにすると残業代の入金がわかってしまい、入国管理局に残業がばれる。だから残業代は別の通帳にするように協会側からいわれた」

 同協会を通じて研修生を受け入れた同県内の複数の農家も朝日新聞の取材に不正残業を認めている。ある農家は「協会関係者が『ほかのみなさんはこうやっています』と言って『450円』を示された」と話した。




時給450円って・・・

そりゃ殺されても文句いえんって


弱い立場の人間にこういうあくどいまねするなんて醜い
給料安いと抗議したから中国に帰そうとするなんてなあ

こういう非人間的な扱いしてたら
向こうも人間的に行動するのやめると思うぞ


中国人犯罪が問題になっている。
凶悪犯にはムチをあたえるべきだが
同時にまともに働いてる中国人には
もっと人間的な待遇をするべきだと思う
2006年08月27日 (日) | 編集 |
「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん


長いので引用はしない


戦後、戦争で被害を受けた沖縄の人たちに保障をすることとなった。
しかし、「戦争の被害」といえるのか微妙な自決した島民の家族にも
それが支給されるのかがあいまいだったため遺族たちは不安に感じていた。

軍命令の自決と認定されれば保証金が確実におりる。
島民は軍が命令したということにしてくれと当時沖縄で戦っていた
軍人・赤松嘉次元大尉に頼んだ。

そして、赤松元大尉はそれを了承する。自らが悪人のレッテルを
貼られることを覚悟で生活苦の島民を救おうとしたのだ。

なんという感動するエピソードだろう。
しかし赤松大尉は名誉を捨てて島民を救った英雄ではなく
島民に自殺を強要した悪魔として断罪され続けてきた

実はかなり昔から赤松大尉の証言はおかしいと一部で指摘されてはいた。だがその指摘が大々的に表にでることはなかった。


島民を救った日本兵がいたという真実よりも
島民を苦しめた日本兵がいたという物語のほうが
戦後日本にとっては都合がよかったのだろう
軍人は絶対悪と思えば、空想的平和主義も口にしやすい


赤松大尉をののしり続けた大江健三郎や岩波書店は
真実を知っていたにもかかわらず自らのイデオロギーに
都合がよかったから彼をののしった。それが現実だ

しかしその現実よりも赤松大尉のことを知らずに本当の本心から
行動した結果、英雄を悪魔と錯覚することになってしまったという
物語のほうが俺にとっては都合がいい


一日も早く教科書から自決強要という項目が消えることを願う
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